プロフィール 千葉県出身。高校を卒業後、釣具メーカーに就職し、釣り用のリールの組み立てに携わる。2年後、独立する上司に付いてグラスファイバー製釣り竿の製造会社に転職。方向性の違いから退職し、営業職を経てアンテナ製造会社に就職した。その後アンテナづくり一筋の道を歩み、1986年に独立準備開始、1989年に独立。当時は携帯電話普及の時期であり仕事に恵まれ、携帯電話の加工組立を専門に手がける夫人と二人三脚で事業を盛り立て今に至る。



アンテナや三脚などを製造・販売するアンテナ工研。代表の浅野幸雄氏は釣り具メーカーを振り出しに、ものづくり一筋半世紀の人生を送ってきた職人だ。ビジネスを拡大させることより製品づくりに生きたいと、独立後もあえて自営業のまま、社員も入れずに黙々とアンテナをつくり続けてきた浅野氏。自分が納得できる仕事環境を自らの手で生み出してきた、職人魂の神髄に触れてみた。



独学でグラスファイバーのアンテナを製作

杉田 移動用・仮設用のアンテナや、カメラ・ビデオなどを取り付ける三脚とポールの製造販売をしていらっしゃるアンテナ工研さん。今日は浅野代表のご経歴を中心にお聞きしたいと思いますが、社会人になって最初のお仕事はなんだったのでしょうか。


浅野 高校卒業後、釣り具メーカーに就職しました。そこでは、1日何万個もリールを組み立て、分解していたんですよ。入社2年後に、上司がグラスファイバー製の釣り竿をつくる会社を立ち上げたので移籍したのですが、そこも数年後には辞めました。


杉田 退職された理由は、なんだったのでしょう。


浅野 最初はみんなで相談しながら仕事をしていたのですが、だんだんと方向性に違いが出てきてしまいましてね。もちろん会社からは引き留められましたが、「このままじゃダメだ」と思い、退職しました。


杉田 浅野代表は、自分の意思を貫く芯の強い方なんですね。その後の歩みについても教えてください。


浅野 高校卒業後、釣り具メーカーに就職しました。そこでは、1日何万個もリールを組み立て、分解していたんですよ。入社2年後に、上司がグラスファイバー製の釣り竿をつくる会社を立ち上げたので移籍したのですが、そこも数年後には辞めました。


杉田 退職された理由は、なんだったのでしょう。



信じた道を突き進め!職人魂が息づくアンテナ

浅野 一度は通信機器の問屋でセールスエンジニアリングの仕事に就いたのですが、営業は向いていなかったため、人に誘われてアンテナ製造会社に入り直しました。そこから、本格的にアンテナづくりを始めたというわけです。
実は、グラスファイバー製釣り竿をつくる会社にいた頃にも、メーカーに勤める知人から「グラスファイバー製のアンテナがつくれないか」という依頼を受けたことがあったんです。調べてみるとアメリカの会社でつくっていたのですが、特許を持っていたので同じ製法はできない。そこでグラスファイバーの中に銅線を入れてみたらうまくできたので、ずっとそのメーカーさんに納品していたんですよ。


杉田 ということは、アンテナの製造方法は独学で学ばれたんですね。


浅野 はい、理論だけ学んだら、あとは見よう見まね。その後本格的に始めてからの製品も、全て自力で開発してきましたね。


大量生産では品質に責任が持てないと独立


杉田 それ以後は、アンテナづくり一筋ですか。


浅野 そうですね。転職したアンテナ会社では、社長が経営を見て、私はアンテナの開発・製造という立場でした。当時、全国から「こんなアンテナをつくってほしい」という注文をいただいていたので、私は会社の許可を得て、自宅でもアンテナ製作のアルバイトをしていたんですよ。


杉田 きっと工夫を凝らした浅野代表のアンテナが、大変な評判になったんでしょうね。手がけた中でも、思い出に残るアンテナがあったら教えてください。


浅野 車のボンネットに取り付けるため、強力な磁石と組み合わせたアンテナが人気でしたね。ただ磁石が付いているだけでなく、分解・修理もできる、今までにないアンテナだったんですよ。しかし、このアンテナを大量につくって輸出したいと言い始めた会社と、大量生産すると品質に責任を持てなくなるから嫌だと抵抗した私は意見が分かれ、結局、15年間いた会社を辞めて独立することにしました。


杉田 なるほど、最後まで、職人魂を貫いた末の独立だったのですね。



浅野 自分のやり方が正しいかどうか、個性を試してみたいと思ったんです。仕事があるか心配でしたが、お客様からの注文は、前の会社ではなく結局私のところに直接くるようになって、最初から大忙しでした。


杉田 お客様が会社ではなく、浅野代表個人を信頼して仕事を発注してくれたというのは嬉しかったことでしょう。


浅野 本当に、その通りです。特に独立当初はちょうど携帯電話が普及し始めた頃で、吸盤で車の窓に取り付けるアンテナの注文が多かったんです。なんと、月に10万本ですよ! それを妻は文句も言わず一緒につくってくれましたね。


杉田 心に沁みるエピソードですね。そういえば、御社にはどのくらい従業員がいらっしゃるんですか?


浅野 社員は入れず、ずっと私と妻の二人です。私はともかく、妻はどんなに大量の注文でも嫌がらずにこなしてくれるので感謝しています。男は物事にすぐ飽きるけど、女性は粘り強い(笑)。1986年の創業以来28年、お客様からのクレームが一度もないのも妻のおかげです。ちなみに妻は、最初に勤めた釣り具メーカーの部下だったので、ものづくりのベテランですよ。


杉田 30年近くもクレームが全くないというのは、すごいことです! 奥様の内助の功も素晴らしいですし、何より浅野代表の責任感の強さと人柄の良さ、そして、ものづくりへの率直な姿勢が、事業が順調に伸びてきた理由なのでしょうね。


職人の立場で仕事をしたいと自営業を選択

杉田 現在はアンテナの他、三脚とポールも主力製品に育っているそうですが、アンテナ工研さんが法人にしないのは何か理由があるのですか?


浅野 はい、私は会社を大きくしたいと思いませんし、「社長」ではなく「職人」という立場で仕事をしたいので、あえて自営業のままにしています。そのほうがお客様の要望にお応えしたものづくりができますし、手づくりの良さを理解して買っていただけることに繋がると思うんですよ。


杉田 確かに、製品ごとに細かいアレンジをしたり、融通をきかせたりするのは法人になると難しそうですものね。


浅野 それに、法人化すると余計なお金がかかりますから。私は銀行からお金を借りたくなくて無借金経営を続けているもので、大きなことはできないし、しようとも思ってはいません。得はしないけど損もしないのが私の器だと思っていますから、それでいいんですよ(笑)。器に水を注いでも、容量以上には入らず溢れてしまうじゃないですか。無理をしたところで、ただ流れ出てしまうだけなのだから、それと同じで自分の器に合った仕事を続けることが大事なんじゃないでしょうか。


杉田 身の丈にあった仕事をするって、大切なことだと思いますよ。お話をお聞きしていると、浅野代表なら、あえて仕事を断るという選択をしたケースもありそうですね。


浅野 ありますよ。実は2012年頃に、あるメーカーさんからOEM生産の話をいただいたんですが、断りました。私は利益がいくらあっても名前が出ない仕事をするより、どんなに小さくてもいいから、アンテナ工研がメーカーでありたいと考えているんです。 それを妻は文句も言わず一緒につくってくれましたね。


杉田 なるほど。まさに職人の意地ですね!


ホームページやSNSで積極的に情報発信

杉田 今後の展望については、どのようにお考えでしょう。


浅野 私はこれまでも、そしてこれからも、人のためになる仕事をしていきたい。儲からなくていいから、自分が信じたものづくりを続けていきたいと考えています。ただ、2006年頃に心筋梗塞を起こして死にかけたことがありましてね。


杉田 心筋梗塞ですか! それは大変でしたね。今こうしてお元気で何よりです。


浅野 それ以来、特に周囲に対する感謝の気持ちが大きくなったんですよ。加工をお願いしている会社や材料を納めてくれる会社など、私を支えてくれる方々への感謝の気持ちが、さらに強くなりました。今は仕事を通じて周りの人に元気になってもらうことが、私の一番の使命であり人生のやりがいであると考えています。


杉田 健康であってこその仕事ですから、浅野代表もお体は大切にしながら活躍を続けてください。この機会を通じて一人でも多くの方に、浅野代表のことやアンテナ工研さんの存在を知ってほしいですね。


浅野 ありがとうございます。私もこれまで情報発信が少し疎かだったと反省しているので、ホームページやフェイスブックを積極的に活用し、当社の存在を広めていきたいと思っているんですよ。


杉田 賛成です! ぜひ多くの方に、アンテナ工研さんのホームページを見て、日本の素晴らしい技術や職人の生き方を知っていただきたいですね。応援していますので、これからもものづくり一筋に頑張ってください!



「仕事を楽しむ」とは‥ 人生を楽しむために仕事をしています。仕事はもちろん、趣味も謳歌できれば、人生が楽しいですよね。(浅野幸雄)



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